つなめ日記帳

Twitterに慣れすぎて長文が書けなくなってきたので、長い文章を書く練習します。

死にたいという気持ちってどんな気持ちだったか思い出す

メンヘラみたいなタイトルですが全然そんなことはないです。

「死にたい」と思っている物語のキャラに感情移入したいなと思ったときに、そういえば「死にたい」ってどんな感じだったかな?と思った。昔は結構そう思うことが多かったのに、ここ半年は全く死にたいと思ったことがない事に気づいた。え!?たった半年ぽっち!!?って思う人が多いのかもしれないが、私、以前はすごい気軽に「死にたい」って思ってたもので。気軽に「死にて~!」って思ってるときは死にたいわけじゃなくただ単純にゆっくりしたい、大変なことから解放されたい、という感情なのだが、それらを若者が使う「やばい」のようなまとめ方をした「死にたい」になっていたわけだ。

日本語がおかしいけど知らん。この記事は勢いだけで書きます。なぜかというと文章を推敲したら本当に書きたかったことが曲がってしまうかもしれないから。

 

気軽な「死にたい」という気持ちはさておき、もう少し本気で「死にたい」と思ってたときのことを思い出しながら、思い出したことを書いていこう。

死にたいと割と本気で思ったのは人生で2回ほど。1回は学生時代、もう1回は社会人になってから。

学生時代はいじめられていたから、友達がいなかったから死にたかったんだったな。田舎だったから学校をサボることもできなかったし、そもそも優等生だったし、私のこと理解してくれない母親にはいじめられてることを言いたくなかったし、いじめられてることがバレても怒られただけで学校は休ませてくれなかったし、どこにも逃げ場がないし理解者もいなくて死にたかったのかな?今振り返るとそんな感じする。

社会人になってからは、上司がパワハラタイプで大変で仕事も難しいし量も多くて大変だったのが原因かな?仕事めちゃくちゃ嫌なこと多かったけど、この件も逃げ場がなかったんかなぁ。仕事辛かったけどそれで仕事辞めるのを良しとしない雰囲気があったしな。上司のパワハラが原因で先輩たちが半分くらい結構揉めて辞めたからなんだけど。学生時代勉強していたことから外れた仕事になっちゃってたし転職したいなって思ってたんだけど転職活動する余力がなかった。1回だけ某転職活動支援サービスの面談を受けて終わったな。平日いっぱい仕事して泣きながら寝て休日は何もしたくなくてほぼ寝てるみたいな生活だった気がする。いいとこ住んでたのにあんまり満喫できてないんだよな。このときも逃げることが許されてなくて、死にたいというか解放されるには死ぬしかないって感覚だったと思う。帰りの電車を待ってるときに線路に飛び込み自殺をした場合の賠償金はどれくらいなんだろうとか調べて死なないようにしてたのを覚えてる。賠償金について調べて親に迷惑がかかるなと思ってたし、これを考えられなくなったら(考える余力がなくなったら?)死ぬんだろうなと思った。少し話が逸れるけど、自殺できる人って勇気と決断力があるよね。1回目のときと違って2回目のときは周りにいい人も結構いたしまだ追い詰められてなかったからというだけかもしれないけど、私は死ぬ勇気がなかった。自傷行為というものもほとんどしたことがなくて、せめて自傷行為をしたら楽になるのかもしれないと思ってとある方法をめちゃくちゃ軽くやってみたんだけど、そのときに使った物が偶然なんだけど父親が仕事で携わっているもので、父親は私がこんな事するために仕事してるんじゃないなって気づいて、それからは自傷行為もしなかった?できなかった?ただ辛い死にたいという気持ちが溜まっていくだけだったな。

 

2回のことを振り返ってみると、逃げたいけど逃げられないという自分では割とどうしようもない(と感じてしまっている)状況と孤独感(≠孤独)が死にたいという気持ちにつながるのかなと思った。

実際に逃げられないか、孤独であるかとは違って、今客観的に思い返すと学校も仕事も逃げようと思ったら逃げられたし確実に孤独ではなかった。でも当時は逃げられないし孤独だと思っていた。客観視したら自分が死にたいって思う状況って別に世の中全部の「死にたい」原因を網羅してないだろうなと気づいた。そりゃ当たり前か。劣等感とか人に理解されないこととかで死にたいと思う人とかもいるんだろうな。そんで自分が思い至らない理由で「死にたい」と思ってる人もいるんだろうな。ここまで書いてみて内容薄いなって笑ってるけど、こうやって整理する?振り返る?というか客観視する?こういうことをしなかったら漠然と自分かわいそうだったな辛かったなって思いで止まってただろうな。それで止まっててもいいかもしれないけど、そのままだと人の辛さをあまりわかってあげられなかっただろうなと思う。わかりきる必要はないけど辛いね大変だねって優しい声をかけられる気持ちは持っていたいね。自分の辛さに浸りすぎると他人にそういうことできないんだよな。大変だった当時は心がめちゃくちゃ狭かったからただでさえ少ない友達も何人かなくしたし。

 

やってみて本来の目的が果たせたのか少し微妙なところだが、まぁやった意味はあるか~。