つなめ日記帳

Twitterに慣れすぎて長文が書けなくなってきたので、長い文章を書く練習します。

父親との電話

今日は父親と電話をした。

父親は約半年前に大変な病気にかかっていることが発覚し、入退院を繰り返している。怖くて詳しく調べられないのだが、どうやら現状完治する見込みがない、珍しい病気のようだ。少しでも長生きできるように、に来週末に手術をするらしい。父親がそんな病気にかかるなんて、全く思ったことがなかった。父親はすごく元気で、仕事も続けており、車の運転が好きで、2年前には父親の運転で日帰り旅行もした。

悲しい。父親が完治しない病気にかかってしまったことが。誰かにこの話を聞いてほしいけれど、突然友人に暗い話をするのは気が引けるし、友人からかけられる言葉が私の気分を害すものであることが怖いため、誰にも言えずこの気持を日記にぶつけている次第である。

私は非常に筆不精というか連絡不精な人間で、余程の用事があるときしか自分から連絡しない。世の女子がやっている(と思われる)「今日◯◯を食べた」のようなどうでもいい日常の些細なことを誰かに連絡することはない。今まで父親に電話をするときは、実家に帰るときに、最寄り駅に迎えに来てほしいときくらいだった。

そんな私で親との雑談力がないわけだが、後悔しないように父親に電話をした。軽い日常報告をして、その後は会話が弾まなかった。私も父親も家族の中で寡黙な方だ。その2人が突然電話をして、話が急に盛り上がることはない。私自身、電話をするのは苦手だなと思う。電話だけでなく、これがメールや電話でも変わらないだろう。でも、父親と電話をしておかないと後悔すると思う。父親があと何年生きるにせよ、私はコミュニケーション不足なのだ。

幼少期に祖父が亡くなったときにとても悲しいと感じたが、後悔というものはなかった。私がまだ幼く単純で、後悔するような行動がとれなかったからだろう。全力で祖父と遊んだり喋ったりして過ごせていたからだろう。おとなになって、複雑になって、成長したはずなのにできないことも出てきた。でもおとなになった自分に流されていたら、父親の件は絶対に後悔するだろうと思っている。

このご時世、実家を離れて暮らしているためお見舞いにも行けずもどかしい。私が今できることは、電話をするくらいなんだろう。「電話くらい」と言っているが、その電話さえしづらく感じている自分が嫌だ。

 

何にせよ、手術がうまくいって、父親には長生きしてほしい。